上の写真は、津波によって流され、ひっくり返ったJR常磐線の線路です。(2014年11月撮影)
津波の恐ろしさも判りますが、原発事故により撒き散らかされた放射性物質による汚染の為、復興に手を付けられなかったのが腹立たしい。
二枚目の写真も津波で流されたJR常磐線の線路ですが、手前の小さな橋から写真の奥へ流され、ひっくり返っています。
震災が2011年3月11日に発生し、写真を撮影した2014年になっても手を付けられないって・・・。
原発は社会の足を引っ張ります。
上の写真は、津波によって流され、ひっくり返ったJR常磐線の線路です。(2014年11月撮影)
津波の恐ろしさも判りますが、原発事故により撒き散らかされた放射性物質による汚染の為、復興に手を付けられなかったのが腹立たしい。
二枚目の写真も津波で流されたJR常磐線の線路ですが、手前の小さな橋から写真の奥へ流され、ひっくり返っています。
震災が2011年3月11日に発生し、写真を撮影した2014年になっても手を付けられないって・・・。
原発は社会の足を引っ張ります。
下の写真は津波によって富岡漁港から陸に流された漁船です。(2014年1月撮影)
やはり福島第一原子力発電所の事故により撒き散らかされた放射性物質による汚染の為、除染完了まで手が付けられません。
原発も吞み込んだ津波は恐ろしいですね。
近くには、住民の避難誘導にあたり被災された警察官が乗っていたパトカーの残骸もありました。
上の写真は富岡町内を走っていたJR常磐線の線路。正面に福島第二原子力発電所(2F)のスタックが見える。2013年11月撮影。
震災発生が2011年3月11日だった為、震災からおよそ2年が経過しているが、福島第一原子力発電所の事故により撒き散らかされた放射性物質による汚染の為、除染が完了するまで復興に手が付けられない。たったの2年、手を付けないとこんなになってしまう・・・・。
二枚目の写真は、富岡町夜ノ森地区を横切るJR常磐線の線路の様子。 2014年1月撮影。
夜ノ森地区は上の写真の地区に比べて福島第一原子力発電所に近かった為放射性物質による汚染濃度が高く、更に復興が遅れる原因となった。
津波により被害を受けた富岡町の海岸線。(2013年12月撮影)
遠くに2F(福島第二原子力発電所)のスタックが見える。
反対側を見る。
正面が2F